福はご自身の手で掴んでください(約1,200字)

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 節分というと豆まきですが、初めてこの行事に行ってみました。
 ネットで調べてここかなと思い、海を渡って、宮島へ。
 大聖院というお寺。
ここはわたしが広島について初めて行った場所でもあります。

 すでに法要の時刻は過ぎており、境内はたくさんの人がいて。
で、開始を今か今かと待つ中、司会の僧侶の方の口上が。

「毎年のことですが、落とし物に注意してください。
そして独り占めせず、みなさまで福を分け合ってください。
 また、みなさまに福が渡りますよう、
3回に分けて前後の列の入れ替えをいたします。
 さらに、ここが大切ですが、撒かれた豆に、
袋を差し出すとか、帽子やフードを差し出すことはお控えください。
福はご自身の手で掴んでください。」

 …できるかな、わたし?
豆まき餅まきといえば、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」よろしく
主人公がつかまった蜘蛛の糸めがけて
数多の餓鬼が我先に駆け寄るシーンが脳裏をよぎったし、
みんなが取りそこねて落ちた豆や餅をわれ先にと奪い合う姿。

 だが、そもそも福のおすそ分けをいただくのだから
それほど強欲に行くものでなし、
落ちたものを拾おうと地べたを這い続ける体力いまないし
必要な分はどうにかなるのではと思い直して
さほど前の列をとらずに穏やかに待ちました。

 それで豆まき始まったんですが、しゃがむの面倒だし、
帽子やフードもなかったんで、飛んでくるものを手で受け取りました。
 それでもわたしと友人が必要な分は手に入りました。
(煮豆にしておかずにできるくらいはありました)

 で、戻ってから、ふと思い出しました。
 わたし、そもそも投げられたものを手で受け取るって、昔できなかったのに、と。
 子供の頃からあまり外で身体を動かすこともなく、キャッチボールも下手でした。
そもそも投げられたものを自分の手で受け取ることができたのは、
今までのわたしにはあり得ないはずのことだったのかもしれない、と。

 それがなぜこのように、と思ったのは、過去の自分の記憶をたどらなかったのと、
坊さんの口上をそのまま受け取ったからだと。
 結構、これって奇跡かも、と。

「福は自分の手で掴んでください」
 それはだれもができることで、それで十分に福は手に入る、ということなのでしょう。
 今まで随分と強欲だったんでしょう、わたしは。

 (追記)

 それと、よく心理系の世界で言うんでしょうか?
「ブロック解除」って。こういうきっかけでの方法でも外せるのかなって。
 わたしが知らぬ間に、福を自分の手で掴んだように、
 ブロックの認識を『うっかり』空洞にしてしまったところで、
新しく別の認識を置く(植える)というか。
 このあたり、もう少し整理したほうがいいですね。

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