満月の夜にスクレイパーで研磨する(約1,200字)

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 土木建築の仕事というか活動をはじめて1週間と少し経ちました。
 こどもの頃から絶対わたしには向いてないと思ってましたが、
今はこの経験がわたしのこれまでの思い込みや価値観を
がらがらと崩壊させられているのを実感してます。

 この活動をはじめるまでは、わたしは完璧主義でした。
特に仕事に関しては、よりクオリティの高いものを出さなければという
責任感のようなものを美徳としていました。
 永年、事務の仕事に従事していたこともあり、
特にレポートなどは、その内容だけでなく、装丁に至るまで
より完璧なものを目指すべきとの信念がありました。
 そしてそれに向かって周りを振り切っても進み続けたこと、
何度かあります。

 しかし、土木建築の世界で仕事をすると、
「まず1日怪我なく無事に戻って来い」と言われます。
 それだけでいいのか?とはじめは思いました。
 実際、現状でそれほど体力自体がなく、
道具の使い方、紐の結び方さえおぼつかないわたしが
周りの方と比べてできる仕事の成果はたいしたことないだけに
要求水準高ぇなあとつい急いでしまいます。

 すると
「バカモン、現場で走るな」とか
「もっとちゃんと力入れて掴め」とか
 これには理由があって、
『現場は危険』だからだと教わりました。

 実際、重機があちこちで動いている中、
下手をするとそれに巻き込まれたり、
また、たかが砂袋とはいえ、1トンを超える重量のものが落下したりすれば、
怪我で済めばまだましで、時には…ということもあり、
実際、高所からの落下の次に危険なのが、
動く重機との接触(というか、場合によっては吹っ飛ばされる)と
聞きました。

 こういう状況の中で、
個々人の信念に基づく完璧主義を貫くことは
3次元の世界で重力に逆らうということになり、
5次元へのアセンションも結構だが、
それ以前に今肉体を持って存在する以上、
その信念とおまへの生命のどっちが大事だ?
という判断になるのもさもありなん、と。

 あまりに生活のすべてに自身の信念にこだわり過ぎて、
相手の要求や状況を全く見ておらず、
アタマを使えばどうにかなると
身体をあまりに軽視していたことが
いままで何か結果として吹き抜けなかったのだな、と
今感じてます。

 そして結果的に体力も回復しつつある現在、
グラウンディングの感覚もわかるようになり
瞑想しても以前のようなブレが減り、
結果的に5次元に近づいているのかもとも。

 先日、凸凹になっていたコンクリートの床を
スクレイパーという道具でひたすら研磨するという仕事をしたせいか、
今回の満月の瞑想でイメージしたのは
自分の凸凹をスクレイパーで力入れて
ひたすらがりがりと研磨して、
こびりついたエゴを削り取るような図でした。

 

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